いつでもなきむしのわたしは
なくこともわすれて
ちょっとぽかんとして たちつくしている
「おお!神よ!」
ここはデスルーム。悠久の青空と、果て無き魂の墓場の広がる空間だ。胸に片手をあてて跪き、もういっぽうの手を高々と掲げた年若い神父は顔いっぱいに喜びの表情を浮かべて長々と祈りのコトバを捧げている。その目の前にいるのはいつも変わらずひょうきんなお面をつけた死神様だ。
「確かに死神様だって神様だけど…いや、この人どっちかっていうと校長先生では」
「人ではありません!」
イヤホンをしているので聞こえないと思ったのに、たまたま口元を見られていたらしい。澄み切った目を見開いて勢い良くこちらを向いたジャスティンにうんざりとしたは、半目になって舌を出した。
「ですが案ずることはありません。
慈悲深き我らの神はあなたのような哀れで無知蒙昧な子羊をも許されます。
そう、いつでも、何度でも…」
「こいつ殴っていいですか?死神様」
「いいけど、外でやってね」
「よーし表出ろ!このワカゾー神父!」
「オー。なんという言葉遣い。まるでどこかのチェーンソーのようです。
あなたのような美しい女性には似合いません…」
「うぎぎぎ」
ジャスティンは胸元のロザリオを握り締めて沈痛な面持ちをこしらえかぶりをふっている。こいつに求婚されているというのだからの頭痛は酷くなる一方だ。
「神父って戒律で結婚できないんじゃなかったの…」
「ええ、確かに私はこの身のすべてを一生涯、死神様に捧げることを誓いました」
「でしょ」
「ですがご神託がありました。自らの想いを大切に、信ずるままに生きなさいと…」
「死神様ッ!」
「いや〜、だって恋愛は個人の自由だし??」
「ですからさん。私と共に手と手をとりあって信仰の道を歩んでまいりましょう。
あなたにもきっとわかるはずです。私がお手伝い致しましょう、一生涯をかけて」
「死神様、見てないで止めて下さいよッ!」
「いや〜、でも職権乱用になっちゃうし…」
「このひと捧げてない!完全に捧げてないから!」
「ですからそれは、死神様が…」
「だって個人の自由が…」
「うわあああん!!」
ループしはじめた不毛な話題にブチキレたは、滂沱の涙をドッと流しながら猛然とデスルームを駆け出して行った。
階段の踊り場で、壁におでこをくっつけたは、鼻をぐずぐず言わせながらぶつぶつと呟いている。
「…確かに背は高いしぱっと見クールビューティだしとびきりつきの強さだし…
でも私、無神論者だから。ゼッタイ合わないメンタリティ的な意味で。
しかもどう見ても涼しい顔してドSです本当に、間違いない」
「ひどい言われようですねぇ。ショックです…」
「ひぎゃっ」
とてもかわいくない声をあげたがババッと素早く顔をぬぐって全身で振り向くと、困ったように首をかしげて微笑んでいるジャスティンが階段の途中に立っていた。を追いかけてきたようだ。珍しいことにイヤホンを外していて、いつもの刺すような音漏れも聞こえない。ショックと言うわりには顔色ひとつ変えず、ゆっくりと階段を降りてくるジャスティンに、は気を取り直したように向き直った。
「… ねえ、ジャスティン=ロウ」
「おお。きちんと名前を呼んでくれましたね。もしや初めてではないでしょうか」
「そのお喋りをやめて、まずは聞こうよ人の話を」
「申し訳ありません、つい嬉しくて」
「あのねジャスティン。どうして私なの?」
「もちろん!愛してしまったからです」
ジャスティンはとてもとても素直に、びっくりしたような顔で即答した。ガクッとの肩が下がる。ジャスティンの表情は言葉と等しく雄弁だった、なぜそんな当たり前のことを聞かれるのかがわからないという気持ちがはっきりとあらわれている。
「それが!わかんないのよ接点なんてなかったでしょう私たち」
「いいえ、あなたは覚えていないでしょうけど」
ロストアイランドにおけるBREW争奪戦で、救護班に所属していたの奮闘ぶりを見て心が決まったのだとジャスティンは言った。
「そ、そんなありきたりな」
「恋は唯一無二…、ですが、
誰のもとにも訪れるという意味ではありきたりなものでしょう。
もちろん私にとっては初めてのことでしたが」
「うっ、そんな恥ずかしいこと、よくも真顔で…」
階段の丸窓から差し込む西日に照らし出されたジャスティンの微笑みは本当にきれいだ。死神様が本当に、あまねくすべてにおけるかみさまなのだとしたら、さしずめこいつは天使さまか何かなのだろうか。涼しい顔したドSの天使なんて滅多に見られるもんじゃない。
「さん。あのとき、あなたは負傷していたでしょう」
「!」
「上半身を。厚着をしていましたけど、たぶん…左腕ではないですか」
「…ナイグス先生にもばれなかったのに」
「それでもあなたは最後まで任務を離れなかった。
いつもは泣き虫なのに、涙も見せずひたすら負傷者の救護にあたっていました」
「そりゃあ、あの時は必死だったから…。
最初は自分でも自分の怪我に、すぐ気がつかなかったくらいで」
「ふふ。あなたらしいですね」
「何かさっきから、すごく、良く…、知ってるみたいな言い方」
「はい。ずっと好きでしたから」
「え?あのミッションで好きになったって」
「少し違います。心を打ち明けようと決めたのが、その時です」
それまでずっと私は後ろめたかったのですと、おだやかな表情のままで年若い神父はそう言って、へと静かに手をさしのべると、その頬にそっと手のひらをあてがった。思っていたよりも厚みのある、男の人のてのひら。その手がほんのかすかに震えていたから、それまでこの神父は動揺などしないのだと思っていたの胸は、ひとつ大きく波打った。
「いつからでしょうか。あなたを見るたびに、こころも体も震えました」
「…いまも…」
「ええ。罪深いことだと思っていました」
「何に対して?」
「恋心そのものです」
はじめてのことでしたから自分でも良くわからなかったのです、そう笑うジャスティンはどこまでも穏やかだったけれど、の頬にあてられた手のひらからは確かな熱が伝わって、どんどんを侵食していくようだ。どうしてだろう、さっきから誰も通らないし何も聞こえない。下校のチャイムはもう鳴り終わってしまったのか。どんどん傾いてゆく西日には薄くコバルトが混ざりはじめている。
「この気持ちは何だろうとずっと己に問い続けてきました。
こんなにも暖かいのに、ときに息苦しく、ときに悲しい。
ですがあの島でのあなたを目にした時、自分の心がはっきりとわかりました。
そばに行って、この気持ちを伝えたい。
そしてできるなら、そのままずっと、あなたとともに生きていきたいと…」
「どうして?どうしてそんなにまで」
「もう誰からも、何ものからも、あなたを傷つけさせたくなかったから。
帰還後、真っ先に死神様に話しましたが、
その時にはもう直感していました、死神様がお許し下さることは…」
世界にも、神にもそむかずに、私はあなたを生涯愛します。ジャスティンの柔らかな声音がそう言って、の心を西日のカンバスへと縫い止めた。
「……どうしよう、ジャスティン」
「…?」
「わたし、いま、ぐらぐらしてる」
言葉通りに受け取って、大丈夫ですかと少し慌てるジャスティンに、は本当はぐらぐらどころではなかったから、とてもジャスティンの顔を見ていられない。うつむいたは、そのままトンと頭をジャスティンの胸へともたせかけた。まぶたの内側ではいまにも涙腺が決壊しようとしている。そうだ、わたしはいつでも涙もろくて、(あのときはがんばれたんだ)だから今だってお願い、どうかまぶたの奥に引っ込んでいて。
どうやらデスルームで騒いでいるうちに、とっくに下校のチャイムは鳴ってしまったようだ。丸窓から投げかけられる最後の西日は糸のようにきらきらとした残滓をジャスティンの髪との頬に散らしている。人気のない踊り場で、あきらかに昼が夜へと変わってゆくなか、ちっとも寒さを感じないのはなぜだろう?ゆっくりと肩に置かれたジャスティンの手がを包み込む。長い腕と広い胸、ワカゾーなどと言ったことは撤回せねばならない。耳に響いてやまないのは自分の鼓動?それともジャスティンの?にもジャスティンにもわからないことだらけだったけれど、確かなことがひとつあった。
Refrain from tears
(あったかい。ジャスティン)(ええ、私もです。さん)
[author: みおのすけ * bg: Sky Ruins]